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書評ブログの【笑える本を読もう!】

書評ブログの【笑える本を読もう!】

みうらじゅん 
・・・いわずと知れたサブカルの王様。 すかんちの小川文明さんのそっくりさん。

 体は旅に出ても、心は君を忘れていないよという証として、土産物は存在すると思っていた。ところがこのバッカな顔のヒョータンときたら、どーだ!もらってうれしくない上に、どういうつもりで買ってきたわけ!?と、センスまで疑われる始末だ。
 これはもう”みやげ”ではない!いやーな感じの”いやげ物”だ!!
思い出の街は、思っていたより意外と狭くて、
ボクはまるでミニチュアセットの中を歩いているような気がした。
ボクはそんな街で持て余すほどのコンプレックスを抱えて生きてきたんだ
死にたいなんて思ったことはないけれど、最近やっと、いつ死んでも構わないって思えてきた。こんなロクでもない奴と、あまり長くつき合うのに嫌気がさしてきたのかもしれない。
ボクはマトモ・コンプレックスだ。マトモに生きたくないと思うこと自体、マトモな人間である証拠だからだ。
人間の悲しいところは、いつか何もかも忘れてしまうところだ。忘れかけていた記憶を取り戻そうとした時、感傷的に美化した話だけをしてしまうところだ。
オレはどんなに興味のない他人の趣味だって、フツーじゃなければ容認できた。異常にその趣味が好きな人間なら、たとえそれが鉄道マニアであっても、オレは真髄の部分で話ができると思っていた。今でいう、なんとなく適当にカラオケが好きなやつなどとは、話もしたくないわけだ、オレとしては。
大人なんて結局、子どものなれの果てだもんね。
「親友」とは「親」の「友」と書くのである。
オカンというものは息子の方でどれだけ親と距離を置こうが、オカンから息子への距離というのはいつまでも一定なのである。それもたいへんな至近距離なのだ。
中途半端にかしこくなるよりも、素晴らしいバカになるために努力をするべきだ。
PEACE
”シャイ”、聞こえはいいが、人生にとって何の価値もない自制心。
PEACE
プレスリーは死んだが、まだロックの結論は出ていない。
PEACE
両親の優しさが僕をロックから遠ざけている。僕のコンプレックスは幸せ過ぎるところに違いない。
「イヌ、おまえは本当に自分のことが好きやな、自分マニアや」
セックスはゴムを着け、ドラッグは当然禁止され、後に残ったロックンロールだけが頼り。
「新入生の諸君!どつき回したろか!!」
ロックに明け暮れた青春期、はんなりした祭り囃子を掻き消すように最大限のボリュームでレコードを聞いた。そして来世はアメリカ人かイギリス人に生まれ変り、ロック・ミュージシャンになる夢を見た。病名は“青春ノイローゼ”。
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ナンシー関
・・・職業的「消しゴム版画家」。毒舌エッセイを得意とし、テレビや芸能界を切りまくる。

中山秀征は「中山秀征系タレント」の中において抜群の「中山秀征的才能」の持ち主である。
世の中のほとんどはヤンキーとファンシーで構成されている、という真理を実践しているのが「ドン・キホーテ」である。
今の世の中、男か女かと言えば「女」である。何において男か女なのかよくわからないが、とりあえず「女」だろう。バカにしてんのかと思いたくなるくらい何でも「女」という気すらする。
このあいだの国立でやったコートジボワール戦をテレビで見てたら、試合の盛り上がりのピークに日本応援スタンドから『君が代』の合唱が自然発生していた。大変気味が悪かった。少なくともサポーターと呼ばれる集団を形成している年代に、気持ちの高揚するあまり「君が代」を歌ってしまうという精神構造はないはずなのに
情報過多の今の世の中、妄信することは昔ほど簡単ではない。
閉じた小世界の異常な常識は、白日のもとにさらされるとやっぱり理解し難い「謎」なのであり、その「異常な常識」を「異常」と自覚できていない住人たちの危ういバランスはやっぱりモロい。
キラキラと輝く100パーセント純正の”みの”の結晶。
えなりかずきに球持たして、室伏がえなりの足首を持つ。そしたらえなりは飛びますよ。
日本が酔っぱらいに寛容すぎるというのは、よく聞くことである。デーブ・スペクターも言っていた。うるさい奴だ。
忙しい社会人の生活を考えれば、「最近あんまりテレビ見てないんですよ」と言うのも当然の事情であろうとは思うが、しかし、ろくに見もしないで「テレビなんかおもしろくない」と言ってるのにはムッとする。そういうのは私のように目がかすむまでテレビを見た者が言ってこそのセリフである。
ナンセンスは扱いが難しい。ナンセンスを語ること自体、ナンセンスの冒涜だ。私はナンセンスに憧れている。
私はこのくだらないタレントたちを淘汰するためにも、クイズバラエティが絶滅することを願うものである
白金台においしいパン屋さんがあるのよ、とか言ってるその時にも巣鴨のピンサロは花びら大回転をしているのである。
タレントが、そのキャラクターを臨機応変に微調整しながら自分の居場所を確保していくということこそを「タレント活動」というのかもしれない
黒柳の喜怒哀楽は口元だけで表現されている。
10年後、ヤワラちゃんは選挙に出ていると思う。(95年10月)
欽ちゃん番組を観ていると、欽ちゃんといまだ欽ちゃんに喜ぶ客がつくり出す「欽ちゃん空間」が、単体の欽ちゃんより数倍哀しいのだということをしみじみ感じる
1月6日――私はこの日を「石立鉄男記念日」にしよう。
やはり、それよりも河村隆一である。この人は、何を考えているのかわからない。というやつの一段上をいく、何を考えているのかわからないと思わされていることがどういうことなのかわからない、のである。
街頭インタビューって世論の捏造に最も便利なものである。並び順も意見のバランスも、さじ加減ひとつ。
梅宮アンナが私たちの前に姿を現してから、もうどれくらいたつのだろう。最初は「プレイボーイ羽賀研二の次なるお相手は梅宮辰夫の娘」という文脈であったことをはっきりと覚えている。主語は梅宮アンナではなかった。
好きな人の顔だからといってきれいに描いたり、嫌いだからといって汚く描いたりしていてはいけないのである。冷静に「似せる」ことを目指す、これが私のポリシーである。
――「泉ピン子のイヤな感じを描く」より
山田邦子はどこかへ行った。どこへかは知らないけど、何かわかるような気もする。
秘宝耳
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