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ナンシー関のエッセイ【書評一覧】 > 秘宝耳
テレビ(メディア)の中では、周囲から「偉い」と言われている人が偉く見える。偉い人として扱われていなければ、その人は偉く見えない。芸能人としてのポジショニングは、いろんな番組での共演者との関係性の見せ方の積み重ねでできあがっていくといえる。
【書評・あらすじ】
ナンシー関が急逝した2002年に出版されたテレビコラム集。もう何度もこのブログで言ってきたが、ナンシー関の本はどれを取っても一定の可笑しさと面白さを与えてくれる。内容もほとんどぶれることなく、テレビ・芸能人評だ。
違いがあるとすれば、その本がいつ書かれたのか、という点であるが、何分ワイドショー等の時事ネタが中心となることが多いため、実はその違い大きい。90年代前半の話題となると懐かしさを超えてまったく記憶にないので、個人的には現在に少しでも近いことが好ましいと思う。その意味では、2002年に出版されたこの本はおすすめの一冊ということになる。
さて、この記事を書いている2017年夏、最近の話題として印象深いのはSMAPの解散、そして中居・木村以外のジャニーズ脱退だ。SMAPがいなくなったとたん、タッキーや堂本剛など一時期(ここ10年ほど)テレビで見かけなかった人たちが一斉にリバイバルを果たした。まさに「SMAP枠が開いた」としかいいようがない、奇妙な現象を我々は見ている。
そんなことはどうでもいいのだ。SMAPでいうと、特にここ数年香取の闇の部分が隠し切れなくなっていることに世間はざわついていた。ほんの10年前までSMAP一番の元気印という印象だったが、ここ数年はうつが服着て歩いているような状態だった。
このコラムの中に、そんな香取を主役とした章がある。なんでもSMAP×SMAPの「ビストロSMAP」でゲストが森光子だったときのことだそうだが、どういう経緯か知らないが香取が森光子にキスをする運びになったのだという。
森光子にキス。それは明らかにご褒美ではない。かといって東山の彼女という点で嫌な顔もできない。そんな視聴者も含め、森以外に誰にも得のない状況の中、出口のない海に閉じ込められた香取はキスを敢行した上で、「俺の人生はばたいてるぜ!」と叫んだという。光景が目に浮かぶようだ。
そんな香取を見て、ナンシー関は言う。
何か、この時の香取慎吾は「芸能」というもののある一面のいろんな澱とか灰汁みたいなものを全部背負い込んでいたのかもしれないと思った。おそらく彼女には、芸能界の海のよどみに沈んでゆく香取の姿が見えたのだろう。ナンシーのこの指摘は、その後の香取の運命を暗示しているように思えてならないのだ。
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ナンシー関のエッセイ【書評一覧】 > 何をかいわんや
作品名: 何をかいわんや 作家名: ナンシー関 ジャンル: エッセイ 笑:☆☆☆☆☆☆★★★★ 楽:☆☆☆☆☆☆★★★★ ス:☆☆☆☆☆★★★★★ 危:☆☆☆☆☆☆★★★★ ナンシー関その他のエッセイ |
私は18歳で高校を卒業するまでを地方で過ごした。地方といっても、埼玉県や茨城県だとかいった、のほほんとしたところではない。青森県である。思い切りがいい。
【書評・あらすじ】
先日ナンシー2世、ことマツコ・デラックスのコラムを読んだら、つい本物が読みたくなった。われながら分かりやすい性格である。本書はナンシー関急逝後、方々に書き散らかされていた未出のコラムをまとめて出版されたもののようだ。そのためネタの時代も出典もバラバラで、一番古くは「ALL」なる雑誌の1987年の記事で、ジャイアンツの原(当時選手)の「原くん」という呼称について。一番新しいので2001年「ジス イズ 満 吹越」という舞台のチラシで、吹越満の顔のつくりについてであった。
普段のナンシーのコラムは基本的にどれを読んでも「TV・有名人評」、金太郎飴のようなものなのだが、本書は遺稿集的な意味合いのためか、珍しくその呪縛から開放されていた。
1~3章はいつもどおり、芸能人やその顔の造型、CMについての内容だった。中でも歌詞に関する比較がいくつかはさまれたのは珍しかったが、やはりテレビ関係のネタはこのように時が経ってしまうとリアルタイムで読むようには楽しめない嫌いがある。
4章「雑誌オゾンホール」では少し趣向が変わって「雑誌評」。「小説すばる」なる雑誌で京極夏彦がアイドル扱いされている、なんてネタ(95年)はなかなか時代を感じで趣き深い。
しかし5章「暮らしの天気図」はいつもの感じとはかなり趣が違った。というのもこの章では、自分自身についてや世の不思議について書かれたネタが集められているのだ。 なんでも18歳まで青森で過ごして予備校に通うために上京し、1年間上石神井に住んだとのことだが、このようにナンシー関が自身の過去について著書の中で語ることは珍しい。
また、「人はいつからお中元を贈るようになるのか」という項では、オヤジの「コスプレ」としてお中元を贈り始め、最初はプレイ(ごっこ遊び)だったのがいつの間にか日常化するのではないかという指摘があったが、生活評においてもさすがナンシーの観察眼である。
しかしもの珍しさはあったものの、結局「いつもの感じ」のほうがおもしろくはあったかなあ。
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