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筒井康隆の小説【書評一覧】 > 陰脳録
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「リビドー短編集」とサブタイトルのついた一冊。そのサブタイトルどおり、エロがテーマの短編が14話収録されている。
女を抱くときに男の心の中で生じるドタバタ劇を描く「欠陥バスの突撃」、オナニーでイク瞬間にテレポートをする能力、その名も”オナポート”の発見とそれが招く混乱を描いた「郵性省」、キンタマが風呂の排水溝にモッテかれてしまった男の悲喜劇を描く「陰脳録」などなど。
特に「モダン・シュニッツラー」がバカでよかった。宇宙飛行士とダッチ・ロボット、生物学者とコンピューター、コンピューターとプログラマーなど、とんでもない組み合わせのセックスが描かれていて斬新。
まったくとんでもないオナニー小説だった。
というと、筆者のひとりよがりで楽しむ余地がまったくない作品のことを意味しそうであるが、この短編集の場合本当にオナニーの小説があったりするから、もう何がなんだか。
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町田康の小説【書評一覧】 > 浄土
中島らもは『つるつるの壷』の解説で、町田康の小説をして「たったひとつのビート。コードはE7だけだ」と評した。
町田康の読者ならば大変うなずける書評だと思う。
町田康の小説には筋という筋がない。そこに描かれるのは物語というよりは「流れ」とでも呼ぶべきもので、起承転結で構成される一般的な小説と同じようには読むことができない。
意味がなく、読んでも役にはたたない。ただそこにはたったひとつのビート、たったひとつのコードがあって、それがはまれば夢中になって読まされてしまうのだ。
また、町田康の描く主人公はたいてい同じ生きざまをしている。たいていが世に対する憤りをいだいているのだが、その憤り自体が理解されず、というか相手にもされず、ワケ分からんやつと不当な扱いを受け、そのうえ相手からえらい目に合わされ、最後は自棄になってちゃぶ台のうえであぱぱ踊りを踊る、といったことになっているのだ。
おかげで読者は、あとから各小説の話をしようとした際に、えーとねえ、『くっすん大黒』はねえ、えー、気色の悪い大黒をなんとかしようとした主人公がえらい目にあわされてねえ、『きれぎれ』はねえ、えーと、とにかくえらい目に合わされてねえ、『屈辱ポンチ』はねえ、えらい目にあわされて…といったことになるのが常なのだ。
とまあ、かなり印象だけで書いてしまったけど、町田康の小説といったらだいたいこんな感じになると思う。
しかしこの短編集『浄土』は、なんというか、上のような意味で「らしくない」一冊だった。
町田康らしくないとは、つまり小説らしい、という意味なのだけど。
前半に収録された3話(「犬死」「どぶさらえ」「あぱぱ踊り」)はいかにも従来の町田康らしい作品だった(えらい目に合わされてました)が、後半4話、特に「本音街」「ギャオスの話」は、筒井康隆あたりが書いていてもおかしくないようなユーモアショートショートといった風だった。
「本音街」は例えば「私はあなたのことがほとほと嫌になりました。足は臭いし、チンポが臭いくせにフェラチオしろと言うし」「わかりました。足とチンポも洗います。だから別れないでください」といった具合に、とことん本音で会話がなされる街でのできごとが描かれている。また、「ギャオスの話」では、ある日突然あらわれた怪獣ギャオスと、それに翻弄されるちっぽけでアホな人たちの姿が描かれる。
こういう風に、小説自体に大きな設定があって(しかもショートショート的な)、それにのっとって物語りがつむがれるのって、町田康にしては珍しいんではなかろうか。
また、個人的には最後に収録された「自分の群像」が好きだった。
プライドばかり高くて役立たずの後輩と、そのとばっちりをなぜか全部垂れ流される主人公の憤り。
これぞまさしく町田康ってな具合に。
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