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書評ブログの【笑える本を読もう!】

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作品名: 何が何だか
作家名: ナンシー関
ジャンル: エッセイ

笑:☆☆☆☆☆☆★★★★
楽:☆☆☆☆☆☆★★★★
ス:☆☆☆☆☆☆★★★★
危:☆☆☆☆☆☆★★★★
ナンシー関その他のエッセイ
【書評・あらすじ】
 もはやナンシー関の本に一冊一冊書評を書くのはナンセンスな気がする。
 本の間にある違いは「いつ」書かれたものか、ただその一点につきるといっても過言ではない。
 なんならタイトルも似たようなものが多いし、内容も同じ風となると、もはや少しブランクをおいてしまうと、果たして自分がどの本を読んでどれを読んでいないのか、その判別がほとんどつかなくなるほどだ。
 ところで先ほど何気なく「過言ではない」といったが、この言葉はこのごろの傾向として「いいかもしれない」とほぼ同義に使われているきらいがある。しかし僕がここで使った「過言ではない」は字義通りの意味で受け取っていただきたい。ナンシー関の書籍を隔てるのは執筆された「時」だけなのだ。
 さて、そんな事情で先に連載された時期を書いておくと、この本に納められたコラムは95年から97年にかけて書かれたものだ。
 ナンシー関といえば主にテレビ、そしてそれに登場する芸能人たちをさくさくと切り刻んでゆくのが常でそれがとことん面白いのだけど、いかんせん芸能ネタになるので、あまりにも古い時代になりすぎるとさっぱり話についていけずただただ困惑することとなる。
 95~97年。これは今年31歳、当時高校生だった僕としてはボチボチのヒットだ。だいたいのことは忘れているけど、たまに「あーあったね」と思えるレベル。

 基本的にナンシー関は眼光が鋭い。皆が日ごろ微妙に感じている違和感の本質を見抜いて、皆にわかるように切り出してくれる。そのためどの本を読んでも関心するような名言と出会うことが多い。
 本書ではその名言っぷりがコラムの小タイトルにまで及んでいた。

「妻子のためにがんばる」。しかし落合の「妻子」とは「信子&福嗣」なのだ……
 
最初に掲載されたコラムのタイトルなのだけど、世の不条理をこれほど簡潔に言い切れる言葉があるだろうか。
 その他、本書で見つけた名言をいくつか。

黒柳徹子について
――黒柳の喜怒哀楽は口元だけで表現されている
アイドルについて
――存在することが最大の意味であるのがアイドルであり、それが成立しなくなったからバラドル他の『何かをしなければ成立しないアイドル』がうようよと出現したわけである。
オリンピック等における「感動」について
――選手の実家にカメラ行きすぎ。恩師出てきすぎ。子供の頃の作文捜してきすぎ。
 
等々。あとは名言集をごらんいただきたい。

 本書の構成としては第1章と第3章がいつもの感じ。つまり芸能人&テレビぶった斬り。そして第2章が似たようなところで、CMについて。
 そして中でも一番好きだったのは、風俗バイト誌、マダム向け誌、OL向けお金情報誌、等々さまざまな「雑誌」がターゲットになる第4章。時事ネタに左右されていないという点でも記憶やノスタルジーに惑わされず普通に楽しめる。

 ところで僕は「世代」を気にしすぎてよく笑われることがある。
 たとえば「松坂世代」というのがそれで、松坂世代には優香、酒井若菜、根本はるみ、小池栄子などがいる。
 実は僕はこの松坂世代の1つしたで、僕の世代をしいて名づけるなら、「祐美ちゃん世代」(安達祐美)、または「切れる17歳世代」ということになる。
 そして下に目を向けると、加藤愛、熊田曜子などなど、と、なんだかやけにたとえのイエローキャブ密度が高くなってしまったけど、とにかくこのように象徴する同い年の芸能人や有名人を「○○世代」として挙げてもらえると、その人と僕との年齢の関係が相対的に理解できやすいのだ。
 その際不思議なのは、重要なのは「学年」であって、生まれ年ではないということ。つまり、僕は早生まれ(2月)なので1つ下の学年と同じ年生まれなわけだけど、すべての区分けは「どの学年か」でなされているのだ。
 30を越した今でも、である。
 なんでこんな話を長々書いたかというと、実は本書でナンシー関が僕とおんなじことを書いていてびっくりしたからなのだ。この話は「『学年概念』。この有名人が同じクラスだったら……」に書かれているのでぜひ読んでいただきたい。

 以上、やはりナンシー関の本はどれも同じだな、といった論調できたけど、結局のところそれは笑本!的安定感を意味するもので、「はやり面白かったな」と同じ意味だと判断してもらえるとうれしい。

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作品名: フィッシュストーリー
作家名: 伊坂幸太郎
ジャンル: 短編集

笑:☆☆☆☆☆★★★★★
楽:☆☆☆☆☆☆★★★★
ス:☆☆☆☆☆☆★★★★
危:☆☆☆☆☆☆☆★★★
伊坂幸太郎その他の小説
【書評・あらすじ】
 年末(2012)の深夜に何気なく放送されていた映画を何気なく見ていたら、その映画がえらく面白かった。
 巨大隕石が迫るという典型的終末のさなか、一人の天才数学者によって世界が救われるなんていう内容で、セックスピストルズよりも前にパンクにたどり着いてしまったがためにまったく売れなかったバンドの曲が、いくつかの時代の人々の物語をつなぎ、終末の現在にいたるという構成だった。
 非常に世界観もよく、1キャラクターを演じた多部未華子もとてもかわいらしかった。
 そして気になって映画の詳細を調べてみると、原作が伊坂幸太郎の「フィッシュストーリー」という短編小説だとわかったわけだ。

 しかし映画がけっこう壮大に作られていたのに対し、原作は短編。当然中身のボリュームが違う。
 映画のほうで好きだった話が実は原作にはなかったりしてちょっとがっかりなのが今の心境だ。というか映画があまりにもよくできていたのかもしれない。多部ちゃんがかわいかったし。
 映画にしかなかったシーンなども非常によく伊坂作品のあの世界観を再現できていたと思うし。多部ちゃんもかわいかったし。
 てなわけで、よく小説の映像化は酷評されるけど、この「フィッシュストーリー」については映画のほうが面白い。

 さて、この短編集には4つの「フィッシュストーリー」(意味:ほら話)が収録されているんだけど、笑える本的にいうと、最後に収められている「ポテチ」がよかった。
 都会的(つまり伊坂的)ドロボウの今村と、1年前に自殺しようとしているところを留められて以来今村と同棲している大西の話で、その出会い(つまり自殺未遂)の際の2人のやりとりがいかにも伊坂的なユーモアに満ちている。
 以下中略しながらそのやりとりを一部抜粋。
「俺の親分が、このマンションの下で待ち構えているんだ……君が落ちたら、キャッチするんだよ、残念だけど」
「キャッチ?十階から落ちた人間を?……落ちたわたしを、その普通の中年男がキャッチするつもりなの?……無事なわけないじゃん」
「大丈夫」
「何で、わたしが最期の最期に、見も知らない中年男にぶつかって死なないといけないわけ?ぶっとばすよ」
「親分は高校球児だったんだって。しかもポジション、外野だし」
「だから何?」
「フライを捕るのは得意中の得意なんだって。小さいボールを捕るのに比べたら、君を捕るなんてね、余裕だよ余裕。余裕過ぎるよ」
「それとこれとはぜんぜん、違う」
「たいがい補欠だったらしいけど」
「補欠なのかよ!」
 
こんな感じの笑えるセリフが、わりとシリアスな物語の中で交わされるのが伊坂ユーモアの特徴かな。

 映画「フィッシュストーリー」もおススメ!多部未華子ちゃんがかわいいぞ!
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