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劇団ひとりのエッセイ【書評一覧】 > そのノブはひとりの扉
作品名: そのノブはひとりの扉 作家名: 劇団ひとり ジャンル: エッセイ 笑:☆☆☆☆☆☆★★★★ 楽:☆☆☆☆☆☆★★★★ ス:☆☆☆☆☆☆★★★★ 危:☆☆☆☆☆☆☆★★★ 劇団ひとりの他のエッセイ |
今になって思い出せば、子供というのは実に変わり者が多い。大人になるにつれ、社会に適応するために角が取れて丸くなっていくが、それに比べて子供は尖りまくっている。
【書評・あらすじ】
劇団ひとりの自伝。一番古い記憶である3歳ごろの記憶から、自らが父親となった「今」までの劇団ひとりの半生を振り返る。
小学2年から5年までを過ごしたアラスカでのできごと(なお、父親がパイロットで同じくパイロットの父を持つフィギアの村主章枝が同級生だったと以前テレビで見たが、そのことは本書では触れられていない)。アラスカの勉強が簡単すぎて、帰国後日本のハイレベルな勉強にまったくついていけなかったこと。
中学校でビーバップハイスクールに影響され「不良に憧れる不良風」になったものの、放送委員として毎日放課後の全校放送でカノンをBGMに自信作のポエムを朗読していたこと。
学ランの不良服に憧れ工業高校に進学したのに、その高校での違反服の取り締まりが凄くかったため衝動的に退学してしまったこと。そしてその場の衝動で退学したのに、なぜか両親が別の高校のパンフレットをすでに準備していたこと。
アルバイトをしながら夜間学校に通い、「元気がでるテレビ」の素人コーナーをきっかけに、16歳からお笑い芸人を志したこと。
太田プロでのオーディションや若手時代のまともな仕事がなかった日々(ちなみに同期は猿岩石だった)。
子どもが生まれる際、お湯を入れてのびてゆく「ラ王」と妻の陣痛のはざまでゆれたこと。
そんなテレビで時々垣間見える劇団ひとりの半生が、時系列を追って語られてゆく。
ところで、つい先日書いた記事で、劇団ひとりは「『劇場型』ともいうべき自意識の持ち主」だと書いたけど、本書もまさにそんなエピソードであふれていた。
たとえば初恋の話。
中学生のころ、劇団ひとりには長年思いを寄せてきた「Hさん」という初恋の相手がいた。しかし自意識がすぎてシャイボーイな省吾少年はうまくHさんに接することができず、思い切って誕生日プレゼントのオルゴールを買っても、それを鳴らしながら玄関先に置いて逃げるというもはや「殺人予告」としか思えない渡し方しかできないほどだった。
しかしそんな省吾少年もなんとか自分の思いをHさんに伝えたいとは思っていた。そこでこんな作戦に出る。
少年はHさんを思いながら何度もHさんの似顔絵を書いているうちに、いつしかHさんとはっきりわかるほどうまく描くことができるようになっていた。そしてある日から、省吾少年はそのうまく描けた似顔絵をいつもカバンに入れるようにしたという。
そうすることでカバンを開けばいつでも好きなHさんの顔を見ることができる…というのは建前で、実際はクラスメイトの誰かにその絵が見つかり「あー、川島こいつのこと好きなんだ」と騒ぎ立てられ、観念したように仕方なく「まぁ、そういうこと。ずっと、好きだったんだ」という展開になることを狙っていたのだ。
つまり脚本を用意して、自らの意思ではなく事故を装った形での愛の告白、というドラマを想定していたわけだ。10代にして、いやむしろ10代だからこそだろうけど、なんという「劇場型」の自意識だろうか。
しかし実は本書を読みながら、僕はすごく尻のあたりがむずむずするような思いがしていた。10代のころの劇団ひとりのこういうところが、実はすごく自分の10代の頃と似ていたからだ。上のエピソードと似たようなことは多くの10代男子がやったんではないかと思うけど(ですよね?)、特に衝撃的に僕の10代のころと似ていたのが「サスペンスドラマ」の章だ。
劇団ひとりが中学2年のころは今のようにインターネットで気軽にエロが手に入る時代ではなかった。
そこで省吾少年は毎日学校からまっすぐ家に帰り、夕方3時から再放送しているサスペンスドラマの再放送を欠かさず見て、ドラマの濡れ場だけを狙ってビデオに録画していたという。つまりサスペンスドラマのエロ場面だけで構成されたオリジナルのエロビデオを作成していたわけだ。
しかし録画したあとに簡単に編集できるような時代ではなかったため、エロシーンだけを録画するためにはドラマの「複雑な人間関係、物語の起承転結、殺人の動機、すべてを冷静に見ながら物語を予測する」ことが必要だった。濡れ場がどのあたりでくるか、もっといえばこのドラマに濡れ場があるかを判断することが必要なのだ。また、この作業を続けているうちにそれ以降はドラマのクライマックスに入ってゆくため「濡れ場は1時間20分以降にはまず登場しない」という、ドラマの理論なども分かってくる。
実はこれ、10代のころの僕もまったく同じことやっていた。「1時間20分以降~」理論にも同様に行き着いていた。同じことをしていた人がいたと知り、たいそう驚いたものだ。
アダルトビデオやエロ本の入手が困難だった年齢、時代において、テレビに映るおっぱいは本当に貴重なものだった。そして劇団ひとりと僕はその瞬間を永遠に残すために輝かしい青春の時間を費やしたのだ。股間を握りながら。
ドラマの構成のされ方や観察眼がはぐくまれたことを思えば、ここで得たものが今の劇団ひとりの基礎を築いているのはまず間違いないだろう。その意味では、エロはやはり偉大なのである。
そういうわけで今宵も私はエロサイトを巡ることにいたします。探さないでください。
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