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ナンシー関のエッセイ【書評一覧】 > 何はさておき
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ナンシー関没後に残されたコラムや過去のコラムを集めて書籍化したもの。
遺稿集となるのか。
第一章は恐らく亡くなる直前まで連載中だった記事のようで(ナンシー関はタクシーで移動中に亡くなるという文字通り急逝だった)、いつもの調子で2001年から2002年6月までのテレビ事情が語られている。
ちなみに2002年(ナンシー関没年)最後の記事は旭化成の「イヒ」について。
最後までアイロニーの人だった。
なお、この章のタイトルを辿ると「高田万由子が皇室側の人間のようにふるまう、その根拠は何だ」「いじれる大物タモリに『リスペクト』を捧げるのが流行っている」「中澤裕子が『モー娘。』後も『ねえさん』と呼ばれる理由」など。内容が気になる上、タイトルだけでもアイロニーがひしひしと伝わってくるのが素晴らしい。
2章から3章は明らかに、ナンシー関が急逝したため方々から大急ぎであまったコラムを寄せ集めてきたような感が伝わってくる。
2章は1991年から2000年にかけてのテレビ事情に関するコラム。3章は1989年から2001年に書かれた、世情についての文化的なコラムが中心となっている。
さて、普段何気に気になっていること、ぼんやりと「変だなー」と思っていることが、エッセイの中で同じように語られていると嬉しくなることはしばしばある。
この嬉しさは、その発言者の持つ発言力に比例する。バカと同じこと考えても何も嬉しくはないのだ。それで、ことナンシー関のような切れる人物と同じことについて同じようなことを感じていたとなれば、その嬉しさはひとしお。
そんなテーマが3章の「『カワイイ』の定着でひとつ増えた日本人の心のヒダ」にあった。
近年言われ始めた「カワイイ」は従来の「可愛い」とは別の言葉である、というのがその論旨だ。
最近若い子たちの間では<こびとづかん>が「カワイイ」のだそうだ。
気持悪くこそあれど、明らかに可愛くはないこのキャラクターであるが、まあたしかにどことなく愛すべき点があるのは共感できる。ある一定の年代の子達ならば、キュンときちゃうのもわからなくはない。
この曖昧な感情を表す言葉は明らかに「可愛い」とは別の「カワイイ」であって、両者はまったく別の言葉として認められるべきものなのだ。
ってなことを普段ぼんやりと思っていたんだけど、ナンシー関がズバリと言ってくれていて非常にすっきりした。
そんなわけで今後外国人に「カワイイ」を説明するときは、「カワイイとは単に『可愛い』という意味だけではなく、『奇妙だ』や『気持悪い』という意味も含みます」とか「もし私がカワイイといってさえいれば、私の父はこんなことにはならなかったのに」とか「こんにちは、エミリー」「いいえ、私はトムです」というように説明しましょう。
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