作品名: Waiting for Godot 作家名: Samuel Beckett ジャンル: 洋書・脚本 笑:☆☆☆☆☆☆★★★★ 楽:☆☆☆★★★★★★★ ス:☆☆★★★★★★★★ 危:☆☆☆☆☆☆★★★★ この他の笑える洋書 |
『ゴドーを待ちながら』という邦題でその名を知られるモダニズム演劇。
モダニズム演劇ってイコール「単にわけがかわらない」というイメージがあったので敬遠していたのだけど、思っていたよりは面白かった。
登場人物は主にウラジミルとエストラゴンの2人。
物語はその2人がひたすら「ゴドー」がくるのを待つ、ただそれだけ。
途中ポッツォとラッキーという脇役も登場するにはするが、彼らが出てきたからといって物語りに進展はない。
ただただ、ゴドーという何者かが訪れるのをじいっと待つだけ。
とまあ物語の筋は大変退屈なんだけど(なんせ登場人物たち自身が作中で退屈しているのだ!おっどろいたね)、登場人物全員が「道化」そのもので、繰り出されるナンセンスな会話の節々がいちいち可笑しい。
ウラジミルとエストラゴンは、いつやってくるとも知れない(そしておそらく永遠にこないであろう)ゴドーがくるまでのあき時間を、くだらない遊びや会話をしてなんとかやり過ごす。
観客は(そして読者は)その暇つぶしにつき合わされるのだ。
とにかくすべてに意味がない。なんせテーマは「無」("Nothing")だから。
ただしその虚無に深刻さなんてのはない。
道化によって演じられる軽妙な虚無なのだ。
蛇足ながら、これが2次大戦後間もない1948年に書かれたという事実は念頭においといてもいいかもしれない。
モダニズム文学でいえば、T. S. Eliotという偉大な、そして悪名高くもある詩人がいて、このEliotが若かりし日に書いた詩に"The Love Song of J. Alfred Prufrock"というのがある。
これはどういう作品かというと、語り手の若くも老いてもいない男(やせっぽっちで頭がハゲかかっている)が、気になる女に会いに行くかどうか、よし行こうか、いやでも勇気を出したところで女の取り巻きに「ま、ハゲだわ」なんてバカにされるだけだったりして、なんてことをひたすら悩み続ける、ただそれだけのもの。
これを詩にしちゃうかね。しかも"The Love Song"なんてタイトルで。
Wating for GodotのテーストはEliotの"The Love Song~"にかなり近かった。
道化が演じる軽妙な虚無。
あたしモダンを感じたわ。
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