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森見登美彦の小説【書評一覧】 > 有頂天家族
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このところ多忙すぎて本を読む時間がまったく取れない日々を送っている。
とはいえ、「忙しいって言う人間ほど閑なものだ。閑であることに罪悪感を抱くから、やたら忙しいと吹聴したがるんだね。」といったのは確か森見登美彦だった。いやはやね。
今年の夏は京都へいった。
この記事を書いているのが12月(2012年)なのでもう4ヶ月も前になる。
これがお気楽な旅行だったらよかったのだけど、とぉぉぉぉぉってもいやな仕事がてらでの京都だったので、なんだか京都はぼよぉんとした思い出として残っている。
さらによく言われるように夏の京都はえぐいほどに暑い。
鹿児島住まいなので暑さには強くなったと思っていたんだけど、比じゃない暑さだった。
京都駅に到着間もなく、京都駅名物の階段を登ったろうとエスカレーターに乗ったのが最後、最上階にたどり着くころには熱射でフラフラになっていた。到着の時点で京都滞在の2日間は終わったといってもいい。
とにかくいやな仕事と暑さ、それが今年の京都訪問の印象なのだった。
と、そんな京都で買ったのがこの『有頂天家族』だった。
買ったのは確か四条あたりの商業ビルだったと思う。
清水寺を見たのち八坂神社を抜け、鴨川沿いで大量発生した虫にびびりながら1時間以上飯屋を捜し歩いて疲労困憊しているときにふらりと見つけた本屋で買ったのだった。
あのときは途中清水寺あたりで立ち寄った喫茶店のおばちゃんに、先斗町(ぽんとちょう)という日本の地名とはちょっと思えないところで納涼床ってのをやってるからいくといいどすえ、といってたかどうかはちょっと忘れたけど、そんなことを言われてのしのし歩いていったのだ。
すると四条の鴨川沿いに本当に先斗町という信じられないくらい細い通りがあって、その通りにお高そうな飯屋が文字通り軒を連ねていた。
少し奮発すれば納涼床という夏の京都名物の風情ある夕げにありつけるらしかったんだけど、そのときは予算の関係で決めきれなかった。今思えばさっさと決めちゃえばよかったんだけど、というのもその後、1時間以上四条をふらつき歩いた挙句、最後は結局どうでもよくなって全国でおなじみ牛角で納涼床に行けるくらい高い焼肉を食べたのだった。
とまあこんな感じで京都徘徊中に、京都といえば森見登美彦、ということでこの『有頂天家族』を買ったんだけど、奇しくもそうして疲労困憊しながらほっつき歩いた先斗町なんかがまさに舞台の小説だったので思わず運命的なものを感じざるをえなかった。
と、思い出日記をかねた長い前置きはここまでにして、ようやく『有頂天家族』あらすじ。
かつて京都に君臨した「如意ヶ5嶽薬師坊」なる元大天狗、赤玉先生。今は引退し、「コーポ枡形」でいじけた暮らしを送っている。
その弟子は物語の核となる狸の一家下鴨家の矢三郎。矢一郎、矢二郎という名の2人の兄と矢四郎という弟が1人いる。母は一家の主として健在なれど、狸界のドン「偽右衛門」だった父総一郎は数年前に「金曜倶楽部」なる酔狂な人間たちに狸鍋にされ食われてしまった。そして父の死をきっかけに、兄矢二郎はカエルに化けてしまい井戸の中にこもってしまっている。
そして父総一郎を食った「金曜倶楽部」という面々の中に弁天という妖艶な美女がいる。弁天はかつては世を知らぬただの普通の女の子だったのだが、見初めた赤玉先生にさらわれてからというもの天狗よりも天狗らしい恐ろしい女に育ってしまった。
そして下鴨家の親戚筋で宿敵でもある夷川家。代々下鴨家へいやがらせをすることを生きがいにしているような一族だ。
力をなくしたいじけた元大天狗、父を人間に食われた下鴨家、自由気ままに悪魔的なことをする弁天、下鴨家に悪事を重ねる夷川家。
物語は大きくわけてこの4者が入り乱れながら進んでいく。
ストーリー自体は今書いていてつくづつ確信したけど、とにかくとりとめもない。
偽右衛門権争奪と狸一族によるドンパチ騒ぎ、弁天のご立腹と金曜倶楽部の狸鍋、いじけた赤玉先生のご乱心…。
いろいろ入り組んでいて、ぜんぜん話が思い出せない(ま、4ヶ月も前に読んだし!)。
ゆえにもうこれ以上書かないけど、ただ読中読後の印象としては、ああ「おもちろかった」(面白かったとは異なる)という感覚が残っている。
狸たちがカワユく、おもちろおかちい、そんな長編小説。
追記:
そういえば、下鴨家と夷川家という狸たちが狸界のドンたる偽右衛門となるために競っている際、次のようなことがいわれている。
人間たちの文明開化におんぶに抱っこして、狸界の文明も開化して以来、狸を脅かす天敵も戦乱も地上から消えうせた。(中略)不安の種もなくのうのうと暮らしてゆける狸たちは、偉大なる「長」を求めなくなった。(中略)狸界の将来はワザワザ担うべきものではない、放っておけば適当な方角へ流れていくと誰もが腹の底で考えているのだ。
これ、まんま、今の日本のこといってるね。
スウィフトは『ガリバー旅行記』で、小人の国に当時のイングランドを重ねて皮肉ったけど、この『有頂天家族』では狸に今の日本を重ねているわけですな。
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森見登美彦の小説【書評一覧】 > 四畳半王国見聞録
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久方ぶりに森見登美彦の小説。というか小説自体久々に読んだか。
評価は楽しめ度とおススメ度を低めにしたけど、これはなんというか一般的尺度でという意味で、個人的にはすごく好きで、一晩徹夜で読破してしまった。…ために大事な会議の10分前に起きるという暴挙を果たしてしまった。まあ間に合ったけど。
作品はタイトルどおり、あの名作『四畳半神話体系』と関連するものではあったけど、続編とかスピンオフとかいうものではなかった。
『神話体系』の登場人物(小津や樋口さんなど)がちらほら出てきはしたけど、そういう形で他作品のキャラクターを登場させるのは森見登美彦の常套手段だし、なんなら『新釈 走れメロス』の芽野や芹名なんかが主役級の話なんかもあったりして、『神話体系』のスピンオフとは言いがたい内容になっていた。いわば森見作品全体のスピンオフとして読むことならできるのかもしれないけど。
さて、ではどうして同じ「四畳半」というキーワードが冠されているかというと、これはどうもキャラクターやストーリーというよりも本当に「四畳半」の世界を踏襲しているからだと思う。
というとさっぱり説明になっていないけど、本当に「四畳半」の話が多かったのだから仕方がない。「四畳半」というテーマで連なっている連作短編集だ。
以下にいくつか簡単なあらすじと気になったこと。
四畳半王国建国史
語り手となる男は、「法然院学生ハイツ」という短編集を通してしばしば登場するアパートの四畳半の一室に自らの国家を築いている。
この一篇は、世界を見限った、というか森見的世界観で世界からリジェクトされた語り手の独白のみで構成されていて、その内容はいかにして自分が大学のモラトリアムにさえリジェクトされ、四畳半国家を建国するにいたったかという森見節の真骨頂といった感じ。
語り口調はどういうわけかニーチェのそれに似ている。確かエッセイ『美女と竹林』にもニーチェを思わせる記述があったので、やはり影響は大きいのだね。
蝸牛の角
映画「たんぽぽ」を思わせるストーリーの連鎖。カメラが物語の途中でよその登場人物について行っちゃう感じ。
小話がワンショットずつころころ転がされていく。
空海を見習って山に修行に行ったがために猪に襲われている芽野、例年めちゃくちゃなことになり幹事はかならず失踪するという恐怖の図書館警察忘年会で不幸にも幹事をまかされてしまった男、一年出席した講義の単位をなんとかしてもらうため淀川教授の研究室に詰め寄るも一蹴されている学生など、なんとも行き詰った、いやかなり「詰んだ」感じの阿呆たちの小話が連なっている。
そしてそれぞれの物語はやもりの足の裏やマンドリンの穴の中など、思わぬものを介して連鎖する。
本書一の妙作。
大日本凡人会
能力者たちの話。というと壮大なヒーロー物語発展しそうであるが、そこは森見流。
大日本凡人会に所属する能力者たちは一様におのが能力ゆえに屈折した過去をもち、絶対にこの能力を人のために役立てたりするのものかと発起、大日本凡人会を発足していたのだ。
そんな中、数学的に証明することでものを物質化できる能力者、数学氏が、ついに2年をかけて証明した「数学氏に彼女がいる」という事実の証明に成功する。
かくして数学氏の彼女が現れるのだが…。
グッド・バイ
太宰の遺作短編「グッド・バイ」のオマージュ作品。
京都を去ることになった(ということにした)主人公が、誰だか不明な付き添い人(読者?)を連れて、本作に登場したキャラクターたち(主に女の子)に別れを告げて回る。
まさに太宰のグッド・バイといった体ではあるのだけど、ただ大きく違うのは、とにかく語り手がまったく人からすかれていないということ。
本人はみんなが別れを惜しんでくれるものと信じて回っているのだけど、ことごとく軽んじられ、その薄い反応になんとか言い訳をつけながら懲りずにグッド・バイを言って回る。
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