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書評ブログの【笑える本を読もう!】

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笑える本を読もう! > オードリーのエッセイ【書評一覧】 > 社会人大学人見知り学部 卒業見込

作品名: 社会人大学人見知り学部 卒業見込
作家名: 若林正恭
ジャンル: エッセイ

笑:☆☆☆☆☆☆★★★★
楽:☆☆☆☆☆☆☆★★★
ス:☆☆☆☆☆☆★★★★
危:☆☆☆☆☆☆☆★★★
オードリーのその他のエッセイ
【名言・みどころ
そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、20年調査した結果、それただの穴だよ。

【書評・あらすじ】
 30歳まで「若手芸人の下積み期間と呼ばれる長い長いモラトリアム」を過ごし、ろくに世間と接点を持たなかったオードリー若林。そんな彼が2008年のM-1をきっかけにテレビに出始め、ようやく体験することになった「社会人生活」。その驚きと困惑の連続の日々を、若林らしいネガティブな発想でリアルタイムに綴ったのがこのエッセイ集だ。
 それまでまったくの無名で仕事も一切なかったのが、一夜にして「今が旬の」「飛ぶ鳥を落とす勢いの」と形容されることになったものの、当初は「テレビで見ていた憧れの先輩たちに会える」といった程度の観光客気分で、すぐに飽きられてしまうだろうという確信めいた不安にさいなまれいた。それが3年目にもなると世間にも自分ちのおばあちゃんにも認知され、「そんなボサボサした髪型してないで、相方さんみたいにキッチリしなさい!」、春日の7・3を逆にきちんとしていると勘違いしたお婆ちゃんに怒られるまでになる。
 飲み会でのお酌、「中二病」と揶揄され炎上したブログ、「まずい」→「独特なお味」といった気を使った物の言い方、後輩の飲み会の誘い方…。
 爆発的人気になったM-1以降初めて体験することになった「社会人生活」を、ネガティブ男若林が超ネガティブな観点から綴る。

 ところで当ブログでは、これまで<自意識過剰系>のお笑い芸人が書いたエッセイをいくつか紹介してきた。
 たとえば、劇団ひとりがそれに当たる。
 処女エッセイ集『そのノブは心の扉』を読む限り、劇団ひとりは「劇場型」ともいうべき自意識の持ち主だといえる。たとえば登山途中で力尽きてしまったときや、寄生虫博物館が実はデートスポットで周りの客がカップルばかりだと気づいたとき、つまり自分が敗北者であるとか、自分が浮いていて恥ずかしいヤツだと気づいてしまったときに、劇団ひとりは石ころや寄生虫を眺めながら必死にメモをとっているふりをする。これはあくまで自分は石や寄生虫を本気で調べているのであって、疲れて心が折れたとか空気を読めずにひとりで来ちゃったというわけではないのだというポーズなのだ。もっといえば劇団ひとりは自意識過剰であることをあえて演じることで、自分自身に対して自分の自意識過剰さへの言い訳をしているようにさえ見える。自意識過剰人間にとって恐ろしきは何より自分自身の目なのだ。

 今回紹介しているオードリー若林も、やはり同じく自意識過剰系芸人だといえるだろう。ただし劇団ひとりのそれとは趣は異なる。若林の自意識はいうなれば、「中2病的自己愛型」だ。
 その特性がよくわかるエピソードが社会人5年目の「好きって言っていいですか?」にある。このタイトルがすでに何か香ばしいのだが、それはさておきエピソードを見よう。
 長年無趣味であることをコンプレックスに感じていた若林は、この年になってついに写真撮影という趣味を手に入れる。きっかけはテレビに出始めたことでいろいろなところへいけるようになったことにあり、当初は方々の目に付いたものをケータイのカメラで撮ることで満足していたのだが、そのうち凝ってきて一眼レフカメラを購入した。そしてカメラマンの友人から調光の仕方などを教わり、「木目を浮かび上がらすように」コインランドリーを撮ったり、工事現場を「あえて暗めに」撮ったりして楽しんでいた、というのだ。
 この時点でだいぶ「あいたたたたー」と思うのだが、さらにまずかったのが、その写真を番組のスタッフに見せてしまったことだった。若林が撮影したそれらの写真はスタッフたちに大うけ、爆笑を誘い、最終的に「オードリー若林正恭 ぶってる写真展」として世間に公表されてしまう。しかもよりによってその写真展は大盛況だったという。
 この「ぶってる」という言葉こそ若林の自意識を端的に言い表している言葉だろう。
 先ほど例として劇団ひとりを挙げたけど、劇団ひとりの場合はかなり意識的に自意識過剰であるのに対して、若林のそれは完全に無自覚、つまりホンモノなのだ。

 この若林の中2病的自己愛型自意識過剰は、このエッセイ集の根幹をなしている。
 というのも中身は純度100パーセントの若林の「自分語り」なのだ。水を得た魚のようにそれはもう自分を語る語る。
 たとえば最終章「春日」でその無自覚ぶりが端的に表れている。この章の冒頭、若林は2年半のコラム連載の間、こだわりを持って一度も「春日」という言葉を使ってこなかったことを明かす。そして最終章は逆に春日をテーマに語る、というのだけど、そんなこだわりを持っていたところもちょっとあれなうえ、それを明かしちゃうあたりもちょっとあれだ。
 あれって何かというと、つまり、若林「ぶってる」な!ということだ。

 大マジでやっていることが周りから見ると絶妙に滑稽で、さらに普通ならその場で笑われて終わる話なのに、それをのちのちまでくよくよと反省している。そんな自意識のあり方が若林の魅力的な部分であり、本書の面白いところだと思う。
 
余談:
なお、その「春日」で語られる売れない時代のエピソードがなんともいい。危機感のない春日に若林が「同級生はみんな結婚してマンションに住んでいるというのに、恥ずかしくないのか?」と説教したところ、春日は3日間考えた末、「どうしても幸せなんですけど、やっぱり不幸じゃないと努力ってできないんですかね?」と答えたという。なんというか、春日の人の良さ、まじめさがよく伝わるエピソードだ。これまでそういうイメージはもってなかったけど、この話を見て、案外春日はウド鈴木みたいな人なのかなと感じた。
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